貴方に届かないファンレター

 

年間何通もファンレターを出しているが、その度に「これ本当に届いてるのか?」と疑問に思っている。

今回は尚更。相手は二次元に生きるアイドルだ。私の想いなんて届くはずもない。

 

それでも伝えたいことがあって、誰かに伝えないとこの気持ちがなくなってしまいそうで怖くて、ペンを取るのではなくキーボードを叩くことにした。

 

 

 

初めて名前を呼んだのは、7月の応援上映だった。

 

その日はTRIGGERのグループ舞台挨拶で、運良く当選した私は丸の内TOEIにいた。

今まで通っていた、観客が数人程度しかいない近所の小さな映画館とは訳が違う。

普段着ではないであろう可愛い服、ヘアメイク、痛バ、うちわ…夏だったから浴衣を着ている人もいた。現場そのものだった。

私にとっては、アイドリッシュセブンの現場初参戦のようなものである。買ったばかりのキンブレ1本だけを持って、緊張しながら上映開始を待っていた。

 

照明が落とされ、開演アナウンスが流れる。

『Road to Pieces』が流れる。植物が芽吹いて大樹になる。各グループのロゴが映し出される。

出演するアイドル達の立ち絵が映る。トップバッターは勿論、大好きなあの人で。

 

会場の熱に煽られて、私はその日初めて一織くんの名前を呼んだ。

 

全身の血液が沸騰していると錯覚するぐらいドキドキした。

顔が、手が、全てが熱かった。

 

Re:valeの軌跡を辿った作品『Re:member』に、こんなセリフがある。

 

「口下手なおまえが、曲に思いを乗せて歌ってるのと同じだ。お客さんも、百くんも、軽薄にきゃあきゃあ叫んでるわけじゃない。たくさんの伝えたい言葉の代わりに、俺たちの名前を呼んでくれるんだよ」

引用: 『小説 アイドリッシュセブン Re:member 』

 

私が持つ一織くんへの感情は、因数分解していくと最後には "好き" が残るのだと思う。

けれど、そんな大衆的な "好き" の2文字で表すことなんてできなくて、実際は色んな感情が複雑に絡まっているような感覚がある。好きって200色あんねん…

自分でも名前が分からないような感情を、自分の外に出したくて、相手に伝えたくて、発生するのが「名前を呼ぶ」という行為なのだと、この応援上映で初めて理解した。

 

今では何の躊躇いもなく「一織ー!!!」と大声で呼ぶことができるのだが、根底の気持ちは何も変わらない。

感情をぶつけたくて名前を呼ぶ、ただそれだけのことなのだ。

 

 

 

2024年1月20日の、正午を少し過ぎた頃。

今年の誕生日企画についての情報が解禁された。

 

 

解禁された時は正直、顔が良すぎてそれどころではなかったのだけれど。

この人はこんなにも柔らかい表情ができるのか、という驚きがあった。

"できるのか" ではなく、"できるようになったのか" という表現の方が正しいかもしれない。

 

その聡明さで、IDOLiSH7のプロデュースをやってのける一織くん。

その不器用さで、他の人と衝突してしまったり、自分を傷つけてしまうこともあったであろう一織くん。

精一杯背伸びをして、大人のフリをした彼が、常に気を張っていたであろう彼が、これまでの時を経て、新規の私なんて知り得ないであろう時間の中で、こんなにもふわりとした表情をしてくれるようになった。

この事実に、何だか泣きそうになってしまった。

 

これからも、彼の笑顔が守られますように。

そう思わざるを得なかった。

 

 

 

2024年1月25日。初めて迎える誕生日。

この日を迎えるにあたって、アイドリッシュセブンというコンテンツに出会ってから、一織くんのことを好きになってからのことを思い出していた。

 

広辞苑で "運命" という単語を調べると、このように出てくる。

 

うん‐めい【運命】

人間の意志にかかわりなく、身の上にめぐって来る吉凶禍福。それをもたらす人間の力を超えた作用。

引用: 『広辞苑

 

運命とは「意思に伴わない出来事」のことだと解釈している。

YouTubeの広告で、街の大きなモニターで、大型音楽番組で、たまたま見かけたアーティストに急転直下で沼落ちするような、あの感覚だ。

 

過去の記事にも書いたのだが、私にとってムビナナやアイドリッシュセブンというコンテンツとの出会いは、間違いなく "運命" だと思う。

出会うべき時期に、出会うべくして出会った実感がある。

 

けれど一織くんとの、アイドルグループIDOLiSH7との出会いは、決して "運命" ではないな、というのが自論である。

 

こう思ったきっかけが、年末に発表されたIDOLiSH7の新曲『Encounter Love Song』の歌詞にある。

 

君にただ会いたいんだ

全部歌になる

君のこと見つけたいんだ

だって譲れない

ねえ君も会いたかったの

やっと見つけたよ

 

『Encounter Love Song』を聞いて、アイドル側もまた「私たちファンに出会うために煌めきを届けてくれる」のかな、なんて思った。

そこには恐らく、ファンに出会いたい・見つけて欲しいという彼らの明確な意思がある。

 

私もまた、一織くんのこれまでの軌跡や行動、その結果であるパフォーマンスを見て、自分の意思で一織くんを自担として選んだ。

 

お互いの意志と意思が絡まりあった結果だと思う。

運命じゃなくたって、一織くんが良かったから、私は彼を応援しようと決めた。

 

 

 

「生活を彩ってくれてありがとう」というのは、ファンからアイドルに向けられるメッセージとしてよくある表現だが、実際に一織くんに出会ってから、私の生活はかなりカラフルに色づいた。

 

ONE dream

ONE dream

退屈な音が 鳴り響いてた

昨日までの モノクロな世界

ひたむきに生きる あなたと出会い

カラフルへと加速した

 

これは一織くんのソロ曲『ONE dream』の冒頭の歌詞だが、まさにこの景色と同じものを私も味わったような気がしている。

 

素敵な曲をたくさん知った。

大切な友達が増えた。

思い出の場所が増えた。

つい青色が目につくようになった。

数字を選ぶ場面では、迷わず1を選ぶようになった。

 

応援という行為そのものに対しての楽しさだけでなく、こんなにもたくさんの副産物が私の生活を日々彩ってくれている。

「何かを好きになることってこんなに楽しかったのか」と久しぶりに感じた。

 

何かを好きになるということ、その好きを咀嚼し嚥下することは、自分の輪郭を形作ることとイコールだと思う。

一織くんというフィルターを1枚通したことで、「自分はこんなものが、こういう考え方が好きなんだ」という発見があった。

 

一織くんによって "私" という人間が構成されていくるのは少し擽ったいけれど、そうやって作られた自分のことが少しだけ好きだ。

 

 

 

永遠なんてない、と日々感じる。

それはアイドリッシュセブンというコンテンツのテーマであり、今現在私が直面している現実でもある。

 

もしかしたら、私が一織くんやIDOLiSH7を好きでなくなる日が来るかもしれない。

それでも私は、あの曲を聴く度に、あの道を通る度に、カメラロールの写真を振り返る度に、この特別な季節のことを思い出すのだろう。

友達と会った時には「あの時はこんなことがあって楽しかったよね」なんて話すのだろう。

 

永遠なんてないけれど、いつでも思い出せるように、私たちの記憶の中でそれを永遠にできるように、キラキラした思い出をそこら中に散りばめておいてくれた。

その欠片たちを大切に拾い集めて、これからも生きていきたい。

 

 

 

和泉一織くん。

 

数多の選択肢の中からアイドルという道を選び、戦う覚悟を決めてくれたこと、夢を目指す道の途中で私に出会ってくれたこと、心より感謝します。

 

普段は少し背伸びをした貴方が、たまには等身大で笑うことができますように。

まだ柔らかい貴方の心が、誰かの心無い言葉によって傷つけられることがありませんように。

好きな人や大切にしたいものを、丸ごと全部抱きしめて、歩いていくことができますように。

 

これからも応援しています。

大好きです。

 

 

 

今回は"アイドル和泉一織くんとそのファンの私"の目線で記事を書きましたが、アイドリッシュセブンというコンテンツがフィクションである以上、感謝すべきなのはキャラに命を吹き込んでくださった種村有菜先生・都志見文太先生、今日も私たちに驚きと感動を届けるために動いてくださるスタッフの皆様だと痛感する日々です。本当にありがとうございます。